自分の思い通りにならなかったことを他人のせいにして、ずっと怨み続けていると、結局、誰も幸せになれない。
私のイチ推しのパク・ボゴムが初めて連続ドラマに出演した作品ということで、各1時間全48話の韓国ドラマ『 ワンダフル・ラブ〜愛の改造計画』を見ました。
まさに48時間の韓国旅行のようなものでしたわ(笑)
2013年に韓国で放映され、日本でも2016年に放映された作品なので、見られた方もおられるかもしれませんね。

ただ、当時の視聴率はあまりよくなかったようです。
私も、正直、見ていてすごく苦しくなって、半分くらいまであまり見たくなかったです。
でも、とにかくパク・ボゴムの作品は全部見ておきたいという一心で(^。^)
いろいろな思いを抱えながら見終わっての感想を綴っておきたいです。
人の思いは心に残る
このドラマを見ていて、しんどくなった原因は、財閥デホグループ理事長(ウノク)の異常にしつこい「怨み」の感情です。
「自分の婚約者(ボムソ)が自分の家の使用人の娘(ボッキ)と駆け落ちした」ということがすべての発端で、そこから延々復讐が続きます。
そして、その二人に子どもまで生まれたということが、お嬢様であるウノクにとっては、どうしても許せないことだったのです。
こういうことは韓国じゃなくても世界中でいくらでもあることですよね・・・。
それが恐ろしいのは、その時の怨みがずっと続いていて、結局、子どもたちの仕事・恋愛・結婚にまで妨害が及ぶ点です。
お金を使ってそこまでやるか・・・・・・・・・というゾッとする感覚が何度も味わわされます。
ウノクが力づくでボッキから自分の元婚約者と子どもを奪い取り、ボムソと無理やり結婚。
この時点で、ボムソって自分の愛を貫けない情けない男なんだろうって思いますが、そのあたりのところはドラマでは最後の方になって謎解きのようにやっと出てきます。
とにかく見るからに嫌なタイプの財閥の女性理事長ウノクですが、にくい相手から奪い取った赤ん坊を結局自分で育てることができず養子に出したことの罪悪感から、苦しみながらその子を陰で支援していく皮肉な展開。
強い思いというものは、死ぬまで無くならないのだろうか・・・と悲しくなります。
アルツハイマーで記憶を失う怖さ
ボッキが金貸しをしながら必死で育てた3人の子どもたちは、最初は母のお金を使い放題、好き勝手に暮らしていました。
ボッキ自身、自分は苦労してきたから、子どもたちにはお金で苦労させたくない、いつかこの子達だって大人になったらわかるだろうと甘やかしてきた。
それが破産したという嘘をついて、子どもたちに試練の場を与えることになるきっかけは、ボッキがアルツハイマー病を発症したこと。
どんどん物忘れがひどくなり、記憶がなくなっていき、不安でたまらなくなる。
このままでは3人の子どもたちがちゃんと生きていけない。
30年前に奪われた(本当の)子どもにひと目逢いたい。
3人の子どもたちが成長したように見えて、まだまだ本当に困った時には親に助けてもらおうとする姿勢にも心を鬼にして自立させようとする。
親のあるべき姿を考えさせられる。
それにしても、刻々とアルツハイマーが進行していくのは、本当に怖い。
ご飯を炊いたのにまたお米を研いでいるボッキ。
携帯がないと探していたら冷蔵庫に入っていたボッキ。
車を運転していたら、自分がどこにいてどこに向かっているのか、今、一体自分が何をしているのかわからなくなって危うく事故に会う寸前のボッキ。
こういうことは私たちだってありうること・・・。
大事なことからすぐやり始める
とにかくボッキには、時間がない。
いつ自分のことが、子どもたちのことが、わからなくなるかという心配がつきまとう。
限られた時間で3人の子どもたちの心を入れ替えさせ、真人間にして、自分がいなくなってもちゃんと生きていけるようにしなければならない。
ウノクやその家族によって複雑に歪曲され、なかなか見つけ出せない30年前に奪われた我が子を見つけ出したい。
大事なことからすぐやり始めるしかないのだ。
余計なことをしている時間がない。
私は呑気に韓国ドラマを見ているけど、その状況というのは、別にアルツハイマーを宣告されたボッキだけの問題ではなく、(私を含めて)みんな同じなのだ。
人生に与えられた時間は有限。
「いつか〜したい」なんて言っていられない。
娘に熱く語っていたら、「お母さん、コロナがおさまったら、いっぱい海外旅行したらいいよ」と言われてしまった。
行ってみたいな、やってみたいなって思うことはもちろん、やらなければならないこと、備えておかなければならないものがある。
後回しにしちゃいけない。
さいごに
今回、48話もあるドラマを最後まで見たのは、兎にも角にもまだ10代のパク・ボゴムが出演しているから。
そして、後半になってようやく末っ子であるパク・ボゴム演じるヨンジュンが甘えん坊で遊び人のナンパ王子から少しずつ成長し、恋が芽生え、カッコよくなっていく過程が見れたから耐えられた。
そうでなかったら、こんなに悪事を働き、人を陥れることに罪悪感を持たない人たちの姿を見ていたくなかった。
豪華な俳優陣を揃え、韓国ドラマ定番の財閥と貧困をテーマに愛憎劇を展開するものの視聴率がイマイチだったのは、やっぱり見ている人が幸せになるような波動ではなかったせいではないかと思ってしまう。
人を怨み続けていいことは一つもない。
自分が不幸であり続けるだけだ。
人生なんてなかなか自分の思い通りにはならない。
それを誰かのせいにしてしまっていないだろうか。
私は、自分がしんどかったのは親が私に「跡継ぎ」を押し付けたからだと思い込んできた。
本当は長女である姉がその役だったのに、嫁に行ってしまったから、親が二女である私に覆い被さってきたと思い、反発するものの反抗しきれず、ずっと親を怨んできた。
今、その時間は、私にとって必要な時間だったのかもしれないけど、もっと早く気づけば良かったと思っている。
でも、私の祖母が死ぬまでずっと「女学校へ行きたかったけど親に受験料を出してもらえなかった」と言い続けてきたことを思えば、今、人生の途中で気づけたことがありがたい。
困難もすべて、自分の課題なのだ。
自分が乗り越えるべきことを決して人のせいにして止まっていてはいけない。
少なくとも好きな人に振り向いてもらえなかったとしても、自分から去った人やライバルであった人に復讐しようなんて、思っちゃいけないよね(笑)
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