いつまでも親の価値観と戦うのやめようと思います。
実は、自宅を解体して更地にして、娘の家を建てる際、今の自宅にあるモノを姪に譲ることにしています。
姪のところは旦那さんが大工さんなので、運んで活用してもらうことが可能だからです。
まずは、冷蔵庫、洗濯乾燥機、そしてトランクルーム、もしかしたらエコキュート給湯器、さらにまだ新しい便器まで。
すべて母の家にあるモノなので、私にとっては不要なのです。
娘の家がいますぐ建つわけではないし、保管しておくということもできません。
だから、もらってもらえるのは私にとっても処分する必要がなく、助かること。
そんな良いことなのに、フッと襲ってくるのが、遠くから聞こえる父の声。
私のようにモノを捨てるのはいけないことで、姪のようにまだ使えるモノをもらって大事に使うのが良いこと。
私はダメな人間で、姪は良い人間。
そんなおバカなことを感じてしまったのです。
他の家が建て直しする時、いろいろなモノをもらってきて、再利用して、自分で家を改築していた父。
私がゴミの日に捨てたモノも気づいたら、拾ってきて家で使っていました。
そして、私は「まだ使えるモノを捨てたらダメや!」といつも叱られました。
そのことを娘に話すと、「持って行ってくれて、使ってもらえたらいいじゃない」と軽く答えます。
そう、良いことなのに、捨てている私がダメな人間だと自己嫌悪に陥るところだけが余計なのです。
父は人が捨てたモノまでもらってきて使ったというのは美談に聞こえますが、実際には大量のモノが家に溢れ、本当にここまで節約しなければならなかったのか、と甚だ疑問です。
結局、私がほとんど捨ててしまいました。
(母の家にあるから)冷蔵庫も洗濯機も2つはいらない。
欲しいと言って、もらってくれる人がいたら、そちらへ譲って使ってもらった方が冷蔵庫も洗濯機も幸せです。
父は確かにたくさんのお金を貯めて、亡くなってからも私たちの生活を守ってくれている素晴らしい人ですが、「将来のために今は我慢しろ」という考え方をそのまま継承するつもりはありません。
感謝はしているけれど。
今の自分にとって不要なモノは手放す。
そのことに罪悪感は持たない。
親の価値観は親の価値観として認め、私の価値観もまた尊重されていいと思うのです。
だから、いつまでも、無駄に親の価値観と戦うのをもうやめることにします。
早寝早起き
22時半就寝、8時起床
運動
健太の散歩2回
読書
わたなべぽんさんの『さらに やめてみた。』を読みました。
さらに、やめてみた。byわたなべぽん 自分を抑えずに、本当にやりたいことができるようになる
ときめくお掃除
家で焼肉をしました。
むこ様がササッと洗い物をしてくれて、ホットプレートまで洗ってくれてありがたかったです。
一緒に買い物に行って、一緒にご飯を食べて、いろいろ話ができて、幸せだなぁって思います。
ありがとうございます。
健太
さいごに
ずっと雨が続いているので、草むしりができません。
きっと梅雨が明けたら、庭もアパートの花壇も草ぼうぼうになっていることでしょう。
命あるものたちですから、それもまた仕方ないですね。
自分にとって、その都度、いらないモノを捨てて、必要なモノを大切にして暮らしていけばいいのだと思います。
それにしても、お父さん、なんであんなにお金に執着していたのかな?
子どもの時、貧乏で苦労すると、頑張りすぎてしまうのかな?
お金をちゃんと貯めておかないと大変なことになるぞと再三脅されてビビっているけど、計算しながら使っていってもいいよね。
お父さんみたいに、たくさんお金があるけど寝たきりになって使えなかったら悲しいから。
そして、亡くなってから感謝されるより、今、一緒に楽しい時間を過ごしたいから。
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