月間300万PV、3年連続レシピブロググランプリNo.1! 人気料理ブロガーMizukiさんの『普通のおいしいをつくるひと』を読みました。

実は、読むまでMizukiさんが重い拒食症で入退院を繰り返し、23歳の時の体重が23キロになっていたなんて、まったく知りませんでした。
ただ、お料理が苦手なので「普通のおいしいをつくる」ことができたらいいなぁと単純にそう思ってKindleでふと目についた本を読んでみたのです。
かつて教え子が拒食症であったこともあり、162cmも身長があるMizukiさんの23歳の時の体重が23kgしかなかったらどんなに危険な状態だったのか、よくわかります。
体は骨と皮なのに、意識だけははっきりしていて、もっと痩せたいと思い続けているのです。
教え子は、一番痩せていた時、食べ物が消しゴムに見えたとも言っていました。
Mizukiさんは、今、ずっと自分に寄り添って支え続けてきてくれたお母さんを喜ばせたいと思って、一生懸命お料理を作っています。

一生懸命過ぎるのですが、一生懸命をやめられないのがこの病気の特徴なんですよね。
朝起きてから夜寝るまで、頭の中はレシピのことでいっぱいだそうです。
そして、毎朝7時にブログやInstagramへ投稿。
読者さんが夕飯の献立を考える参考にしてもらえればとのこと。
その後、自分がその日に作るメニューを考え、スーパーへ買い物に行き、帰ったらすぐ試作。
仕上がりを確認してから味付けを変えたり、切り方を考え直したり、試行錯誤しながらレシピを完成させていくのです。
そうやって、ひたすら料理をして、器を選んで盛りつけ、撮影。

試作と撮影を終えたら、撮った写真のデータを取り込んで、実際に使う写真をセレクトする。
その後、おばあちゃんに料理を届けに行って、食べてもらい、感想を聞きます。
おばあちゃんの意見をもとに、味を調整して翌日作り直すこともあるのだとか。
その後、家族にも食べてもらい、家族の意見も参考に。
夕食後、また試作やレシピの修正を22時ごろまで。
そして、ようやくお風呂に入ってから寝るのですが、布団に入ってからも眠くなるまでレシピをスマホに入力しているという・・・。
ずっと仕事をしているのに、それでも追いつかない自分に腹が立つことがある・・・ということなのですが、この生活を当たり前に続けられることが大切だとMizukiさんは感じているのです。
だいたい24時に寝て、朝は5時に起きる生活。

Mizukiさんは、昼寝はせず、朝寝坊もしたことがないそうです。
Mizukiさんには、何もせず、ぼーっとする時間はありません。
ぼーっとしてしまったらダメだと思っているからです。
拒食症を患っているときは、何をしたらいいかわからず、ぼーっと病気のことばかり考えていたそうです。
でも、仕事があれば、頭をそれにまつわることでいっぱいにでき、病気が入り込む隙を作らないですむから。
毎日が料理で埋め尽くされているけど、そんな生活がMizukiさんにとっては支えになっているのでした。

Mizukiさんは、拒食症になった原因について、特別何も書かれていませんでしたが、私は「いい子」だからだと思います。
拒食症になる子のほとんどは「いい子」です。
無意識のうちに我慢してきたのです。
Mizukiさんも弟さんがいると書いてありましたし、小さい頃、その弟さんのオムツを替えたり、自転車に乗せたりもしたとも。
お父さんとお母さんの喧嘩を一緒にこっそり聞いていたりもしたということも。
ずっと、強くて力持ちなお姉ちゃんを演じてきたのかもしれません。
お母さんを助けたい、お母さんに褒められたい、そんな「いい子」だったのだと思います。
そして、今も、病気になってからの自分をずっと支えてくれたお母さんに喜んでもらいたいと思って頑張っているのです。
いとおしい。

ただ、そこまでの本気のMizukiさんのレシピは、確かにどれも家にあるもので簡単においしく作れそうです。
誰でも同じように簡単に作れるよう、すごくすごく改良を重ねているのだと思います。
早速、Mizukiさんのレシピ本を購入してみました。
ファスティングしてから、料理の大切さに目覚めました。
これから毎日、Mizukiさんのレシピ本を見ながら、おいしいお料理が作れるように頑張っていきたいです。
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ましたになり、夢のレシピ本を出版するまでを語る、著者初めてのフォトエッセイ集。
昔からご覧下さっている方はご存知の通り、私は摂食障害でした。食べられない方の拒食症です。23歳の時死にかけて、その頃体重は23キロになっていました。約10年、食べることが怖く、頭の中は食べ物と数字に支配されていました。
自分をコントロールできなくなって、止めることも、助けを求めることもできなくて。出口の見えないトンネルの中を行ったり来たりしている感覚。こんなにも苦しいのなら死んでしまいたいと思っていました。でも、本当にその時が来たのを感じた時、助けを求めた自分がいたのです。
救急搬送された時、私は体重23キロ、血糖値20。血小板が足りなくて、次第に全身斑点だらけになりました。髪が抜け、歩けなくなりました。
あれから10年の時が過ぎ、そんな私が今料理の仕事をしています。おかしな話しであり、不思議な話しです。でも、そうなることが必然的であったようにも感じるのです。
やりたいことを見つけたわけではありません。一人でできることを探したのでした。
今回、はじめて料理とは違う本を作らせていただきました。病気になってからどのように過ごし、向き合ってきたか。葛藤し、乗り越えてきたか。この本には、今の私を形成した道と、今をどう生きているかを記しています。