いのちの停車場by南 杏子 在宅での終末医療をめぐる 現役医師による渾身の医療小説

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吉永小百合さん主役の映画の上映が迫り、話題になっている「いのちの停車場」

主人公の吉永小百合さん演じる咲和子の故郷は、私が住む金沢です。

金沢には、男川と呼ばれる犀川と女川と呼ばれる浅野川が流れています。

犀川のほとりに実家があり、働くことになったまほろば診療所は、浅野川の中の橋近く、主計町茶屋街の近くです。

そして、在宅医療を行うため、市内の患者さんの家へ出向くことになるのですが、その時の地理的な描写がとても丁寧で、金沢在住の私にとっては、現実に見えてきそうなくらいです。

きっとこの本を読んだ人、映画を観た人も、その後、金沢へ来て実際に街を歩いてみると小説の中に描かれている情景が浮かんでくることでしょう。

読み終わってわかったことですが、著者の南 杏子さんは、女子大を卒業後、編集者として働き、結婚出産を経て、33歳で医学部に学士編入して医師となったというすごい経歴を持つ方です。

そのため、医療現場の実態を生々しく解説していて、病状や治療に関して読者は自分のことのようによくわかります。

この作品は、「在宅での終末医療」という超高齢化社会に突入する日本の今、一番問題になっていくテーマに向き合っています。

「死」を本人も家族もどう受け入れていくか、は誰もが考えなければいけない問題です。

人はどんなふうにして「死」を迎えるのかが、丁寧に描写され説明が加えられていました。

わからないから不安でしたが、人は皆、最期はそうなるのか・・・と理解すると、覚悟が決まります。

さまざまな「在宅医療」の問題が描かれていました。

看取るということ

在宅医療では、看取りの経験がない家族が死を見守ることになります。

救急車を呼んでしまうと、病院で蘇生治療や延命治療を施されてしまいます。

共に80代後半の老老介護。

パーキンソン病の奥さんの看取りが近づいてきたら、旦那さんは「死のプロセスの説明」を受けます。

亡くなる前、まず食べなくなっていくのは、胃腸の動きが止まってゆくからなんですね。

そして、亡くなる1週間から2週間前、だんだん眠っている時間が長くなり、せん妄といって夢と現実を行き来するようになります。

最後の日になると、呼吸のリズムが乱れます。危篤状態です。脳の酸素不足から下顎(かがく)呼吸という喘ぐような呼吸になり、苦しそうに見えるけれど、本人は苦痛を感じてはいないそうです。

そんなとき、家族が「旅立ち」をしようとしている人にできることは、そっと手を握ってあげること。

一般的な例で、細かい部分はそれぞれの人で異なるだろうけれど、最期の時をどうやって見送るのか、知っているのと全く知らないのとでは違うと思うのです。

我が子を失うということ

生きていてこれ以上の苦しみはないと思うのが、我が子が治らない病気に侵されているということ。

わずか6歳の女の子が末期の小児がん。

体中の広い範囲に転移して、もはや手術もできない段階。

3種類の抗がん剤治療を終え、どれも効果がなく、体力も低下し、これ以上抗がん剤を使うと副作用で危険という状態で余命数週間と言われる状態なのに、親はどうしても諦めきれない。

それはそうでしょうね。

治療をしないということは、死を待つだけを意味するのですから。

でも、在宅医療でのケアで、本人が強く望む「海へ行きたい」を実現するのです。

最初、そんなことしたら絶対ダメと言っていた両親も結局、本人の願いを受け入れ、家族のかけがえのない思い出を作ることができたのでした。

抗がん剤の治療効果がないとわかった以上、無駄に苦しむ治療に時間を使っている余裕はありません。

幼い子どものQOL=生活の質を維持して、快適に過ごせるような治療を続けなければいけないのです。

そんな緩和治療を、親として受け入れる勇気、決断、本当に苦しみだと思います。

でも、本当にその子のことを考えたら、そうするしかないのです。

それが一番後悔しない方法なんだと思います。

たった6歳の命だったけど、少しでも楽しいことをさせてあげる、その子が望んでいるように。

幼い子が「がんになっちゃってごめんね」と言う場面で思わず涙が出てしまいました。

積極的安楽死の問題

主人公 咲和子の父は、元神経内科医です。

東京の大病院の救命救急センターにいた咲和子が、事情あって金沢に戻ってきたとき、お父さんはまだまだ元気でした。

ところが、高齢者は骨折して入院している間にどんどん病気を併発していきます。

モルヒネを使った緩和治療を行うも、神経性疼痛のため、わずかな刺激でも激痛が走る。

退院して、点滴をやめて、家で死にたいと「積極的安楽死」を望む父を前に、医師として自殺幇助(ほうじょ)をすることになるので、自分にはできないと悩む咲和子。

救命救急にいたときは、とにかく命を救うことだけを考えて必死でやってきたのに、命を縮める医師になることなんて考えてもみなかっただろう。

でも、自分の体がどうなっていくか、誰よりもわかっている父親が望んでいる「死なせてほしい」という気持ちも十分すぎるほどわかる。

モルヒネを使っても痛みを消すことができないほどの強い脳卒中後疼痛に悩む患者は、脳卒中患者の1割もいるそうです。

その他、さまざまな疾患によって疼痛に悩む患者も数え切れないほどいる。

永続的な疼痛緩和のために鎮静剤を点滴に入れる・・・。

そうすると深い睡眠が得られると同時に、呼吸が抑制され、呼吸器などの生命維持装置につながなければ、永遠の眠りにつくことに。

安楽死は、これから大きな問題になっていくと思います。

本人が望んでも、家族は「はい、わかりました」と言うわけにいかないし、現在の日本では医師も手を下すことはできません。

ただ、激痛が走り、もう治らないことがわかっているなら、その苦しみがずっと続くのは本当に耐え難いことです。

少なくとも私は痛いのは何より避けたいです。

甘っちょろい考えの私は、自分ががんになったら、辛い抗がん剤治療は行わず、モルヒネで痛みをとってもらって、静かに最期の日を迎える・・みたいな幻想を描いていました。

でも、モルヒネも効かない激痛が続くなら、死んでしまいたいと思うでしょう。

さいごに

改めて、8年前、脳幹部出血で倒れ、たまたま1時間以内に集中治療室で治療を受けることができたために一命を取り留めた父のことを思い出しています。

寝返りも打てない状態で2年間寝たきりでした。

無知だった私は、胃ろうが延命措置であることを認識しておらず、ずっと点滴の針が刺さっているのが可哀想だからと父に相談することもなく、胃ろうをしてもらうことにしました。

だけど、2年間、ずっとしゃべれず、食べることもできず、動けなかった父ですが、意識だけははっきりしていて、私のいうことにうなずいたり、首を振ってダメだと訴えたりしました。

そして、お父さんも大変だったねと私が心の中で思った日の夜中に息を引き取りました。

私は今でも、胃ろうを選択したのは本当にそれで良かったのだろうか、と思うことがあります。

自分がずっと寝返りもできない状態で病院に横たわっていたら、どんな気持ちだろうと思うとさむ〜くなります。

死にたくても死ぬことすらできません。

死にたいと伝えることもできません。

自分に与えられた命が最期、いつ、どうやって終わるのか。

自分で決めることはできないし、その時が来たら、受け入れるしかないんですよね。

できることなら、この本の中で描かれているみたいな、良心的なお医者さんに見守られて穏やかな最期を迎えることができますように、と祈りたい。

私は今回、この『いのちの停車場』をAmazon Kindle Unlimited 読み放題で読みました。

月980円がとっても安くてお得です。

それなのに、以前はその良さに気がつかず、なんでAmazonから毎月980円引き落としされているんだ?と混乱してしまいました。

Amazon 980円 引き落としの謎 「無料体験後の解約」を忘れないように気をつけよう【お金は大事】

その後、再度、契約し直して今に至っています。

Amazon Kindle Unlimited読み放題には良い本がたくさんありますよ。

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この記事を書いた人

さわこ

金沢大学 日本史専攻 卒業。お城の中にあるキャンパスで加賀藩について学び、金沢をこよなく愛する。

スタジオSeriオーナーの目標は、「健康」と「ゆるいミニマリスト」

みんなが、心と身体をリフレッシュして、笑顔で元気になったらいいなと思って、いつもスタジオにお花を飾り、お掃除してます。「汚部屋脱出」のために、整理収納アドバイザー1級、生前整理アドバイザー1級、清掃マイスター1級を取得しました。いらないモノをすべて断捨離して、スッキリ暮らしたいです。ずっと頑張りすぎてきたから、これからの第2の人生は、楽しいことだけやっていきます!