『嫌われる勇気』 岸見一郎・古賀史健 共著 母の課題に縦の関係で介入せず、横の関係で援助する勇気づけ

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ずっと前に買ってあった『嫌われる勇気』を今、読みました。

読んでいる途中、苦しくなりながら、何とか読み終わりました。

みんなが読んでいる本なのに、まず『嫌われる勇気』というタイトルに抵抗があって、長い間読むことができなかったのです。

それくらい私にとっては「嫌われる」ということが嫌でした。

母に嫌われる勇気

これが誰に対して嫌われるのを嫌がっているのか、ずっとわからなかったのですが、今回、それが母であることがわかりました。

母は全然私を嫌ってなどいません。

むしろ、頼りにしていて、全面的に任せている感じです。

私も困ったものだと言いながら、母の世話をしています。

でも、わかったのです。

私は父や母の言うことをきく「いい子」だったのですが、実はずっと「自由」になりたいと思っているのです。

自分を犠牲にして相手のために尽くすことが偽善であることにも気づいています。

母への不満

私は母に対して腹を立てていることが3つあります。

1つは私が離婚する時、母は世間体を気にして助けてくれなかったこと。

母には私を助ける力がなかったのです。

それでも、私は辛かったので、私の気持ちをわかろうとしてくれなかったことをずっと根に持っているのです。

2つ目は、祖母が亡くなった時、遺体を自宅へ迎え入れるのを嫌だと言ったこと。

父が入院中でお葬式を出す気力すらなかった時期であり、私も仕事をしていて忙しくどうしようもなかったです。

3つ目は、父が入院中、一度だけ酸素ボンベをつけた状態で看護師さんについてきてもらって、介護タクシーで家へ帰ってきた時のこと。

病院から出ること自体、危険な行為だったのですが、私が主治医の先生にお願いし、もし何かあっても構いませんと言って、父はベッドごと移動し15分だけ自宅に戻ることができました。

その後、熱も出ず、父もとても喜んでいたので、また家へ連れて行ってあげると約束したのに、母が嫌だと言って2回目が実現しなかったのでした。

私は父がかわいそうでしたが、母の精神的負担が大きくなると困るので諦めました。

ずっと母がかわいそうだと思い込んできた

母から聞いていた父はとても悪い人だったので、私はずっと父が嫌いでした。

祖母は好きでしたが、母と祖母は仲が悪く、私は両方から愚痴を聞かされていました。

とにかく、いつも父に叱られてばかりの母をずっとかわいそうだと思い込んでいた私です。

だから、母を守ってあげなければと思う気持ちが強かったのだと思います。

そして、母が体調を崩して入院している今、もう一人暮らしは限界だから施設へ入るのがいいと思う反面、また「母がかわいそう」という気持ちがムクムク出てきたのです。

そんな思いの中の『嫌われる勇気』

本当は私よりたくましい母なのに、私が勝手に守ってあげなければと思い込んで苦しくなっていた最中に読みました。

哲人と青年との会話が、全部、今の自分の問題のように思えました。

課題の分離

一人で暮らせなくなったらどうしていくかは母の課題です。

私の課題ではありません。【課題の分離】

本の中で、哲人は、青年から「親をどれだけ悲しませようと関係ない」とおっしゃるのですか?と迫られ、はっきり「関係ありません」と答えています。

哲人の答えがあまりにはっきりしていて、納得するのに時間がかかりました。

自らの生について、あなたにできるのは「自分の信じる最善の道を選ぶこと」、それだけです。一方で、その選択について他者がどのような評価を下すのか。これは他者の課題であって、あなたにはどうにもできない話です。

相手が自分のことをどう思おうと、それは相手の課題であって自分の課題ではないということなのですよね。

私がなすべきことは、自らの人生に嘘をつくことなく、自らの課題に立ち向かうこと。

さらに大事なことが書かれていました。

他者の課題には介入せず、自分の課題には誰一人として介入させない。

 

これが対人関係の悩みを一変させるアドラー心理学のならではの画期的な視点なのだと。

私は、母自身の課題を自分の課題とごちゃ混ぜにして、自分が犠牲になれば母が喜ぶと勝手にストーリーを作りあげそうになっていました。

まず、母の課題は母が解決すべきことであり、私の課題は私が解決すべきこと。

そこをしっかり線引きしないと間違ってしまうところでした。

縦の関係で介入せず、横の関係で援助する「勇気づけ」

なぜ、私が母の課題に対して「介入」してしまおうとしたのかという点についてもはっきりしました。

「介入」の背景にあるのは、縦の関係なのです。

対人関係を縦でとらえ、相手を自分にり低く見ているからこそ、介入してしまうのです。

介入によって、相手を望ましい方向に導こうとしているのです。

自分は正しくて相手は間違っていると思い込んでいる。

確かに、私は母を自分では何もできない人と決めつけ、土足で踏み込み、自分の意図する方向に操作しようとしています。

哲人は、青年に対し、見過ごすわけにはいかないので、介入にならない「援助」をする必要があると伝えています。

本人が自らの力で課題に立ち向かっていけるように働きかけるようにと。

この横の関係に基づく援助のことを、アドラー心理学では「勇気づけ」と呼んでいるんですよね。

人が課題を前に踏みとどまっているのは、能力の有無ではなく、純粋に「課題に立ち向かう”勇気”がくじかれていること」が問題なのです。

そのくじかれた勇気を取り戻すことができれば良いのです。

また、母について考えてみると、ずっと父に叱られてばかりいました。

自己決定の場はほとんど与えられていませんでした。

だから、いきなり自分で決めてと言われても慣れていなくて、自信も持てないのは仕方ないですね。

子どもの頃は叱られたことがなくのびのび育てられたと言っていたので、嫁にきてからホントに辛かったようです。

ずっと愚痴を聞かされて、私まで嫌な気持ちになるほど。

さいごに

今から母に自分のことは自分で解決すべきと突き放しても難しいと思います。

課題の分離はしないといけないし、介入も避けなければなりません。

でも、それらをわかった上で、私が気持ちよく母と接していられるような関係を保っていくことにしようと思えてきました。

ずっと苦労してきた母だから、最後まで嫌いになりたくないです。

そのために、自分にストレスがかからないだけの距離を保って接していくことにします。

それを母が望んでいるかどうかは問題でなく、私が母にしてあげたいことをする、それで良いのだと思います。

『嫌われる勇気』やっと読み終えることができて、良かったです。

父や母のことを思って書いた記事をふと思い出しました。良かったら覗いてみてください。

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この記事を書いた人

さわこ

金沢大学 日本史専攻 卒業。お城の中にあるキャンパスで加賀藩について学び、金沢をこよなく愛する。

スタジオSeriオーナーの目標は、「健康」と「ゆるいミニマリスト」

みんなが、心と身体をリフレッシュして、笑顔で元気になったらいいなと思って、いつもスタジオにお花を飾り、お掃除してます。「汚部屋脱出」のために、整理収納アドバイザー1級、生前整理アドバイザー1級、清掃マイスター1級を取得しました。いらないモノをすべて断捨離して、スッキリ暮らしたいです。ずっと頑張りすぎてきたから、これからの第2の人生は、楽しいことだけやっていきます!