89歳で現役 精神科医をされている中村恒子先生の『心に折り合いをつけて うまいことやる習慣』を読みました。
Amazon Kindle Unlimited読み放題の中に入っていました。
今、ずっと元気にしていた母(88歳)が急に体調を崩し入院しているので、89歳なのに現役のお医者さん?と驚きました。
そういえば日野原重明先生も105歳で亡くなる直前まで現役のお医者さんでしたよね。
中村恒子先生は、キャリア70年、フルタイム勤務を続けていると言うのです。
この本は、中村恒子先生が書いたというより、中村恒子先生のことを慕う後輩の奥田弘美さんが中村恒子先生のことを書きたいという思いが強くて出来上がった本と言えます。
共著者である奥田弘美さんというのは、1967年生まれの精神科医・産業医(労働衛生コンサルタント)であり、日本マインドフルネス普及協会代表理事という方です。
内科医を経て、中村恒子先生との出会いをきっかけに精神科医に転科されたそうです。
では、そこまでの中村恒子先生がどんな人なのかを紹介すると共に、母の入院でちょっと落ち込んでいた私がどんな言葉で癒されたかをお伝えしたいと思います。
フルタイム勤務の生涯現役医師
1929年(昭和4年)生まれ、2020年の今年で91歳。
この本が出版されたのは2018年で、その段階で89歳にも関わらず、週4日の外来・病棟診療フルタイム勤務をされていました。
ずっと勤務医をされているので、9時から17時までの働かされていますと書かれています。
ずっと担当している患者さんがいて、やめることができないんだそうです。
高齢になっても望まれて仕事を続けているってすごいことですよね。
仕事が好きかどうか聞かれたら、正直言って好きじゃありませんわ
中村恒子先生は、1945年6月、終戦の2ヶ月前に医師になるために16歳の時、広島県から一人で大阪へ、混乱の時代に精神科医になりました。
戦争で男性が徴兵に駆り出されていたので、女医養成用の医学専門学校が急設され、大阪のおじさんが「お国のために医者になる者の学費の面倒をみる」と言ってくれたため、両親の勧めもあって医者になったそうです。
戦争末期のことなので、毎日のようにアメリカの爆撃機B29による空襲があり、「どこへ行っても死ぬときは死ぬ」と覚悟して生きていたそうです。
日本全国が戦争一色でなんの楽しみも希望もない、とにかくお国のためとみんなが思考停止していて、死ぬことがあまりに身近だったから、感情も麻痺していてそんなに不安を感じている余裕もなかったとのこと。
そんな体験をしているから、今、いろんなことを不安に思っている人に「たいしたことないよ」って言えるし、それを聞く方も戦争の時に比べたら今の自分の状態って「たいしたことないかもしれない」って思えますね。
コロナで大変・・・って言っているけど、戦争の時よりは安全ですね。
家でじっとしていればなんとかなるのですから。
人がどんどん死んでいき、自分もいつ死ぬかわからない状況、それは体験した人じゃないとわからない。
そんな状況の中で、生きるために一生懸命働いてきた中村恒子先生は「仕事が好きかどうか聞かれたら、正直好きじゃありませんわ」と笑って答えています。
嫌いでもないけど、好きかと聞かれるとねとのこと(笑)
ここまで現役で働きまくってきて、別に好きじゃないけどってさらっと言うのもいいですね。
「お金のために働く」でええやない
精神科医のところへは、「なんのために働くのか」と悩んでいる人がしょっちゅう来るそうです。
仕事の内容にやりがいがない、誰にも褒められない、人間関係が辛いという訴え。
中村恒子先生は、「やりたいことを実現するため」「夢を叶えるため」もいいけど、生活するために人は働くんですと言い切ります。
自分を食べさせていくため、家族を食べさせていくために働く、それが仕事の一番の目的です!って。
そして、心身にハンディキャップがある人以外、健康な人は皆自分を養っていく責任があると言います。
だから、お金のために働くのは当たり前のことで、とっても立派なことですと。
家庭を守る、子どもや家族の面倒をみる、それも大事なお仕事。
お金の額は関係なく、自分や家族が生活できていれば、それで十分。
そもそも中村恒子先生自体、医者になったのは「人を助けたい」なんてたいそうなものではなく、いろんな流れでたまたまそうなっただけなんだそうです。
改めて自分の人生を振り返ってみても、全然自分の思い通りではない流れで今の状態になっていると思います。
人生なんてそういうふうに自分の思いとは別に流されながら歩んでいくものなのかもしれません。
「幸せでなければいけない」と思わない方が幸せ
自分が幸せか不幸か、気にする人がいるけど、中村恒子先生は「幸か不幸かなんてたいした意味がない」と思っているそうです。
幸せかどうかを他の誰かと比べて自分はどうかと考えて決める人が多いけど、他人を見て自分も「こうあらねばならない」って思うとしんどくなるから、そんな余計な荷物はおろしてしまえばいいと。
そんな人に限って「私はこんなに辛抱してるから、あんたもこうあるべきや」と人に強要したりするのは悪循環の元。
「こうあるべき」と強く思って頑張り過ぎているときは、「欲求不満」なことが多いそうです。
若い頃は「もっともっと」と頑張るのも悪くないけど、歳とったらちゃんと己を知って「もっと」を捨てて「これで上々やろ」と納得していった方がいい。
喜びがあれば素直に喜んで楽しめばいい、やらなければならないことができたら「しゃあない」と割り切って淡々とやるのがいい。
人生、その繰り返しじゃないのか?って言われて、そうだよなぁと力が抜けちゃいました。
ケチケチせずに細かいことを引き受けていくと、小さな親切が循環していく
89歳になってもずっとサラリーマンのように働き続ける人生、そんなんやってられるかって思う人も多いと思います。
中村恒子先生は今も病院やクリニックから「診療に来て」と言ってもらえるのは、自分が頼みやすい便利なドクターだからだって考えておられます。
頼まれたら自分のできることは「ええよ〜」と気持ちよくやってあげて、できないことは「ごめんな〜」と丁寧に断るんだそうです。
これって、なかなかできそうでできないですよね。
感情が邪魔をします。
「それは私の仕事じゃない」とか意地の悪いことを言わず、時間が許せば気軽にやってあげるのがええんやないでしょうかって。
そして、小さな親切はケチケチせんで、どんどんやってあげたらええんです。と言われています。
だから、中村恒子先生の周りは人間関係が常にうまくいき、恒子先生自身もお願いしたとき、気持ちよく聞いてもらえると感じておられるのだと思います。
さいごに
旦那さんとの関係もなかなか大変だったそうですが、結局、お子さん二人の結婚式まで両親揃っていようと決めて、頑張ってきたそうです。
そして、その結婚式の頃になると旦那さんの酒癖の悪さも解消されていたとか。
とにかくいろいろたくさんの大変なことを乗り越えてお仕事を続けてこられました。
周りの人たちとほどよい距離を保ちながら、心地よく付き合っていくことが、上手いことやっていくにはかなり重要なことと言われています。
人に期待し過ぎたり、自分に厳しくし過ぎて疲れたりすることがあるけど、自分とも人ともうま〜く付き合っていくこと何ですよね。
成功や活躍せずとも、自分の置かれた環境で一隅を照らして行ければええ。
そんな控えめな考え方、素晴らしいですよね。
子ども2人ともいいお嫁さんを見つけて家庭を持って、孫たちも元気に育ってくれているから、あとはお迎えがくれば潔くさっぱりとあの世へ旅立っていくだけと笑う中村恒子先生、尊敬します。
ちょっと落ち込んでいたとき、フッと力を抜いて楽になることができた本です。
いつも頑張っている方は、機会があったら読んでみられたらいいと思います。
他にAmazon Kindle Unlimited読み放題で無料で読んだ本を載せておきますね。
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