年金問題について、ずっとモヤモヤしている気持ちを持っています。退職したらのんびり生活するために公務員になったのです。年金は最後のお給料の半額もらえるんだとずっと信じ込んでいました。
ところが、現実は違いました。最初と最後の平均の半額のようです。それでも、私は69歳まで長生きすれば自分が納めた金額を回収できることがわかりました。そして、それ以上長生きすればお金をもらい続けるのです。
2025年には、団塊の世代が後期高齢者(75歳以上)になります。果たして莫大な数の高齢者たちの社会保障費・医療費を支えきれるのかでしょうか。
大きな問題について考えるのも大事ですが、私は私たちができる範囲のことを提案していきたいと思います。
家族の形の変化
かつて昭和の時代、現在60歳である私が子どもの頃、周りは我が家も含めて質素でした。
親子3世代4世代が同居しているのが普通で、そこでは当たり前のようにものがシェアされていました。
例えばお風呂は、追い炊き機能もありませんから、全員で順番に入っていたわけです。
お隣の家はお風呂がなかったので、銭湯へ行っていました。
テレビだって一家に1台しかないので、チャンネル争いをしながら見ていたわけです。
それが良いと言っているのではなく、お金の無駄がないということを言いたいのです。
今、核家族になってそれぞれが自由に暮らすため、1軒1軒にキッチンがあり、お風呂があり、トイレがあるのは、お金の面から考えるともったいないと言えます。
ただし、それがわかっていてそれ以上の幸せのためにバラバラに住んでいるわけですから、仕方ないです。
それこそ昔は学生寮で共同生活したり、下宿という形で他の家族の中に入れてもらって部屋だけ借りたりしましたが、今はみんなアパートに一人ずつ暮らします。
シェアハウスやルームシェアという形が出てきたのも自然の成り行きだと思います。
本来、家族で一緒に暮らしていたけれど、様々な要因でバラバラに暮らすから、それぞれにお金がかかるのです。
シェアのすすめ
できることからどんどんシェアしていくのがいいと思います。
最近、洋服もレンタルする人が出てきていますよね。確かに特別な日に着る洋服など買わずにレンタルするのが良いと思います。クリーニングに出さずに返せるというのもお得ですよね。
都会ではカーシェアリングも一般的になってきたというのも頷けます。
昔は・・・というと年寄りみたいですが、私も最初の車は、おじさんから譲ってもらいました。親戚のいとこのお下がりの洋服も着ました。
もらいものは近所にもお裾分けするのが普通だったし、おかずもたくさん作ったからと分け合ったりしました。
お醤油がなくなったとき、隣へ借りに行かされたこともあります。
助け合うのは、恥ずかしくなかった時代でした。
無駄遣いしない
お金が有り余っているのなら別ですが、将来的にお金が不足する事態になるのは目に見えています。
無駄なお金を使わずに、その分を投資に回したり、勉強のために使ったりすればいいと思います。
一人暮らしもいいですが、親と同居しながらお金を貯めるのも良いのではないでしょうか。
使わなくて済むお金は、無駄遣いしないのが一番だと思います。
少ないもので暮らす
全てのものを持っている必要はないと思います。足りなかったら他のもので代用すればいいです。
今の若いミニマリストは、これからの時代を生きていく上で大事なことに気づき始めた人たちです。
無駄を省けるだけ省いて、本当に大切なものにお金をかける、そんな時代に入っているのです。
高齢者もミニマリストになるべし
私は高齢者こそ、ミニマリストになるべきと思っています。残りの人生を本当に大切なものだけに囲まれて幸せに暮らすのが(私の)理想です。
自分の持っているもので使えるものがあったら、どんどん持っていない人に譲っていってもらえたらいいですよね。
私も含めてこれからの高齢者は、できる間に社会に貢献できることをたくさんして、最後は堂々と助けてもらえばいいと思うのです。
一生懸命働いてきた人に敬意を払い、感謝して、最後のお世話をするのは当然と思います。
生まれてくる時と死ぬ時は、他の人に助けてもらわなければならない宿命なのですから。
さいごに
実は、私自身があまりモノを他の人とシェアするのが得意ではありません。
他の人が使ったモノでなく、新しいモノが欲しくなります。
でも、お金のことを考えたら、シェアすることは絶対お得です。
これからの時代、将来のためにお金を貯めること自体なかなか難しいので、今からできるだけシェアして、無駄遣いしないことを心がけ支出を減らす方向性で進むのが良いのではないでしょうか。
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