なぜ大金かけてリフォームした家に住めないのか、いろいろ考えてきました。
結局、私は家と財産を守るのに必死で、本当の意味で母のことまで考えてはいなかったようです。
でも、自分なりに母を守らなければと思っていたのも事実です。
ただ、その守らなければという意識自体がおかしかったのだと思われます。
私は「母を守る人」ではない
私が守らなければと思った分、母は私を「(父の代わりに)自分を守る人」と思ったのでしょう。
父が倒れた時点では、母は介護が必要と思われるような状態だったのです。
誰もがそう思い込み、102歳の祖母と82歳の父、そして80歳の母のうち、誰が先でもおかしくない状況でした。
と私が思い込んでしまったのですね。
ところが世間によくあるように、祖母が亡くなり父が亡くなり、しばらくすると母は元気になってきました。
祖母や父がいる時、あんなにおとなしかったかわいそうな母はどこへいったのでしょうか。
私が実家を大掛かりにリフォームしたものだから、母は当然私が一緒に住んで自分の面倒を見てくれると思いますよね。
私自身もその覚悟でいたのに、やっぱり30年別に暮らしていて急に一緒に暮らそうと思ってもうまくいきませんでした。
私は「母の愚痴を聞く人」ではない
子どもの頃は我慢して聞いていた母の愚痴も耐えられません。
近所の人だけでなく、私や娘の悪いところもバンバン言われました。
悪口言わないでと頼んだら、「悪口じゃない、ダメなところをダメと言って何が悪いのか」と言われ、言い返せず、泣いてしまったこともあります。
母はかつて父に言われたことを言っていると思いました。
ずっと我慢してきたから、自分も同じことをしてしまうのだと思います。
気づいたら私だって娘に同じような口調で言っていることがあり、ハッとします。
私は「母のために生きなくてもいい」
飼っていた犬のくりこが突然亡くなった後、母と二人でいるのがとても辛くなりました。
そして、自分の元の家に戻ってきたというわけです。
人に合わせる力が強過ぎて、すぐしんどくなってしまいます。
私自身の問題なんだなと思われます。
ただ、母のことは最終的に私が責任を持って見届けようと思っているので、良い距離を保って細く長く付き合いたいです。
さいごに
今、母はそれなりに元気に一人暮らししているので、このまましばらく見守ります。
人はそれぞれの課題を背負って生きているのだと思います。
ここに至るまでの記事はこちらから
ブログランキングに参加しています。
下のお花を「ぽちっ」と押して、応援していただけると嬉しいです。