たくさんモノを捨ててきて、随分モノが減ってきました。でも、最近、まだ残っているたくさんのモノに対し、これ以上捨てなければならないのか?と疑問を感じてきてしまっています。
そんな時、スタジオの本棚にこんまりさんの本が戻ってきました。長い間、誰かが借りていたのです。また誰かが借りるかなと思っていたのですが、なぜかずっと残っていて私の方を向いています。もう一度私が読む時なのですね、きっと。
片づけのあと始まる世界
読み始めてすぐハッと気づきました。
片づけの目的は、ひたすらモノを減らすことでも、たんにスッキリした空間で暮らすことでもありません。
まさに今、私が戸惑いを感じているところです。
こんまりさんは、片づけで得られるものは、「ときめく毎日を過ごすこと」「ときめく人生を手に入れること」だと言います。
最初、こんまりさんの本を読んだ時、この「ときめく」という意味がわかりませんでした。
たくさん捨てましたが
汚部屋だったときは、頭の中も大混乱していました。いきなり倒れた父の家には、たくさんのモノが溢れていて、その中に重要な不動産関係の書類がいっぱい。何が何やら意味もわからずオロオロでした。
自分が認知症になってしまったのではないかとすら思ったほどです。
そこから、いらないモノをたくさん捨てて、ようやく大切なモノが見えてきました。
今、あるものは大切なモノばかりに思えるのですが、まだ多すぎます。
でも、これ以上、捨てる意味がわからなくなってきてしまったのです。
捨てても、ときめかない理由
たくさん捨ててモノが少なくなってきて、確かにスッキリした空間になりました。
でも、ときめきを感じません。
その理由を考えてみました。
考えられることは、中途半端だからです。
片をつけるところまで極めていません。
こんまりさんの「片づけ祭り」では、部屋の中のモノを全部出してみます。
そして、そこを綺麗に掃除してから戻す時に一つ一つのモノが自分にとって「ときめく」かどうか、自分の胸に問うてみるのです。
私は、ただそこにあるモノの中から使ってないモノを捨てていただけでした。
捨てることが大事なのではなかったのです。
その空間が本当に自分にとって心地良いかどうか、そこまでモノと向き合う必要があったのですね。
そこまでして自分が選ぶモノこそ本当に大切なモノで、そういう大切なモノに囲まれていると「ときめく」毎日を過ごし、「ときめく」人生を送れるのです。
さいごに
まず、大切なことは、本気で「片づけ祭り」をする覚悟です。
一度に広い範囲をするのは難しいので、狭い範囲やテーマを決めて、全部出して「ときめく」モノだけを美しく並べる作業を繰り返せば、きっと今とは違う人生になっていると思えます。
小さいことから真剣に「片をつける」を始めてみます。
それが滞らないように記録をつけていきます。
「片づけの記録」は、「断捨離」の記録であり「掃除」の記録でもあります。
その両方を一度にするのが結構大変だったので片方ずつしかできなかったのですが、これを一度にすることこそが大切だったのでした。
では、今日からの「片づけ記録」頑張ります。
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