余計なひと言を言ってしまった理由を振り返ってみる

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言わなくてもいい「余計なひと言」

言ってどうしたかったのか・・・反省を込めて考えてみました。

いつものようにスタジオの体操教室に参加する母を迎えに行った時の車の中での話です。

7月17日の母の誕生日に、家でみんなで誕生会をします。

余計なひと言

母が「また、家へ帰れるのが嬉しいわ」と言うのを聞いて、「そうだね」と言えばそれでいいのに、私は、一呼吸おいてから余計な一言を。

「お父さんもあの時、もう1回家に帰って来たかったのに、お母さんが嫌だって言ったから連れて来れなかった・・・。」

そして、追い討ちをかけるように「ずっと病院にいたら、やっぱり家に帰りたいよね。」とまで。

なんで、そんな言葉が出てきたかというと、やっぱり一度家へ連れてきた父に「今度はもうちょっと時間をかけてゆっくり帰ってこれるようにするね。」と約束したのに、それを叶えてあげられなかったことが後めたくて、ずっと引きずっているのでした。

あれからもう8年も経っているというのに。

ただ、母の反応はというと、全然気にしているようには見えず、すぐ話をそらされてしまったのでした。

ずっと父から嫌なことを言われて我慢してきた母は、意地悪なことを言われても聞き流す術ができているのかもしれません。

だから、私がグジグジと気にする必要もないのかも。

母との会話から半日経って、客観的に考えられるようになった私は、いずれ私も母のような立場になると思い、その時、娘とどんな会話をするかな・・・と思い浮かべてみました。

私が施設に入るときは、家を処分しているから、自分が帰る家はありません。

そういう意味では、母って帰る家があるのだから幸せですよね。

この庭があるので、築56年の古くて無駄に広い家を壊すことができませんでした。

私も嫌なことは嫌だと言ってもいい

母は自分が嫌だと思うことは嫌だと言えたのですから、私も自分が嫌だと思ったら嫌だと言えるということです。

だから、母が施設を出て家で暮らしたいって言い出したとしても、私は「それは無理だよ」と言ってもいいと思えるのです。

たとえ母の家であっても、私を介護人として世話させる形で帰りたいって言われても、私は「嫌だ」と言ってもいい。

母が嫌なことを嫌だと言ったのをずっと(父の気持ちを考えて)ひどい人だと責めてきたけれど、でも、あの時、父と同じくらい体も心も弱っていた母の方を大事に思い、母の気持ちを優先して良かったんだと思えてきました。

できないことはできないって言えばいいし、嫌なことは嫌だって断っていい。

相手より自分を優先してもいい。

そんなことを母から教えてもらえて良かった。

さいごに

母は、私が「無理だ」「できない」「嫌だ」と言ったとしても、恨まないと思います。

そう思えるだけで、気が楽になります。

いつまでも昔のことを思い出して、言うのはやめようと思いました。

余計なひと言は、言わないのが一番だけど、言ってしまった自分の気持ちに寄り添ってあげることも大事ですね。

自分が負担にならない範囲で、母の幸せを支えていきたいです。

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この記事を書いた人

さわこ

スタジオSeriオーナーの目標は、「健康」と「ゆるいミニマリスト」

みんなが、心と身体をリフレッシュして、笑顔で元気になったらいいなと思って、いつもスタジオにお花を飾り、お掃除してます。「汚部屋脱出」のために、整理収納アドバイザー1級、生前整理アドバイザー1級、清掃マイスター1級を取得しました。いらないモノをすべて断捨離して、スッキリ暮らしたいです。ずっと頑張りすぎてきたから、これからの第2の人生は、楽しいことだけやっていきます!